猫舌堂Webマガジン「一食十色」 color.11

猫舌堂Webマガジン「一食十色」 color.11

2023 ⁄ 01 ⁄ 29

「食べることの悩み」を経験した方たちの対談シリーズ「一食十色(いっしょくといろ)」

「うまい、やすい、はやい」でおなじみの大手牛丼チェーン吉野家。

噛む力、飲み込む力が弱くなった高齢者向けの牛丼を販売していることをご存じでしょうか。

冷凍食品「吉野家のやさしいごはん 牛丼の具」に続き、常温保存ができるレトルトの介護食の商品開発に単身で取り組んだのは佐々木透さん。

88歳のお父さまが牛丼を食べづらくなったことをきっかけに、高齢者にも食べやすい商品開発を決意したそうです。

猫舌堂代表の柴田は、がん治療の影響で口が開きづらいなどの経験からスプーンの開発を決意。

佐々木さんの介護食開発のお取り組みに、「生きることは食べること」という自身の信念に通じる想いを感じ、大阪から東京日本橋まで「ぎゅ(牛)ーっ」と新幹線で参上。

じっくりお話をお聞きしてまいりました!

 

※本座談会は2022年12月に実施しました

1.「牛丼の肉が大きすぎて食べづらい。何とかならん?」

 

佐々木さんは、吉野家にはどういったきっかけで入社されたんですか?

 

 

フランスで料理の修行を積んだ後、調理専門学校の講師やホテルの副料理長などを経て、2002年に吉野家に入社しました。今でも忘れもしませんが、採用面接の一週間後から勤務し始めるというスピード入社でした(笑)。

ところが、入社して1年5カ月後にBSE問題*1が発生。アメリカ産牛肉が調達できず全店舗で牛丼の提供を休止せざるを得ない状況になり、牛丼に代わる新商品の開発に追われていました。

*1 BSE問題:2003年12月、アメリカで牛海綿状脳症(BSE)に感染した疑いのある牛が発見され、その後の日本国内での牛肉の流通等に大きな影響を及ぼした一連の問題(参考:吉野家「牛丼100年ストーリー

 

 

吉野家の激動の時代を乗り越えてこられたのですね。そんななかで、介護食に取り組もうと思われたのはなぜですか?

 

 

当時88歳の父には時々冷凍牛丼を送っていました。

ある時母から「肉が大き過ぎて食べづらいって言ってるんだけど。何とかならん?」と相談を受けましてね。高齢で飲み込む力が弱くなっていましたし、入れ歯に牛肉のスジが引っかかったりもしたらしいです。

当時の吉野家には、高齢者向けの商品を出すという考えはまだありませんでした。

僕自身は、商品開発担当としていろんな店舗を回った時に「お年を召した常連客の方が急に来店されなくなって」という話は店長から時々聞いていましてね。よくよく考えてみると、高齢で肉が噛めない、飲み込めない、という理由で牛丼をお店で食べづらくなってしまったのかもしれない、と気づいたんです。でも、今の吉野家があるのはそういった世代のお客さまのおかげなんですよ。昔から牛丼を食べにきてくださっていたお客さまに恩返しをしたい、という気もちもありました。

▲吉野家のレトルト介護食「やわらか牛丼の具」「きざみ牛丼の具」

 

そうだったんですね。

私が牛丼を知ったのは、アニメの主人公が歌っていた「牛丼音頭」なんですよ。「牛丼ひとすじ300年~♪」(笑)。

 

 

昔流れていた吉野家テレビコマーシャルは「牛丼ひとすじ80年~♪」なんですよ(笑)。

ところで、柴田さんは元看護師さんだとお聞きしました。  

 

 

2.「食べたいものが食べられないつらさ」経験して初めてわかることばかり

 


看護師として大阪の関西電力病院に24年勤務しました。

がん治療を担当する部署にいたのですが、自分自身が「耳下腺がん*2」と診断されまして。手術や放射線治療、抗がん剤の治療の影響で「口が開きにくい・噛みにくい・食べこぼす・飲み込みにくい」などさまざまな困りごとを経験しました。そして、自分自身がそういった症状を経験して初めて、病院ではできない「ケア」の大切さに気づいたんです。

それに加えて、自分らしく生きることが大切だ、ということにも気づきました。

当事者になってみなければわからないことはたくさんあるけれど、周りに伝えていかなくては何も伝わらない。それならば、まずは「伝えること」からやってみよう、と、関西電力の社内起業チャレンジ制度に応募したんです。

▲看護師時代の柴田。がん治療を担当していました

 

 

社内起業、僕と同じですね!

食べたいものを思ったように食べられないつらさは、自分自身が経験して初めてわかるような気がします。実は僕自身も病院にかかる機会が多い人生なんですよ。

ホテルのシェフ時代、夜中に突然お腹をくだし、高熱が出ましてね。病院に駆け込んで内視鏡で詳しく検査してもらったところ、「君、クローン病*3だね」と。そのまま3カ月間入院しました。食事制限がかかり、食べたいものを食べられなくなった最初の経験です。食事のいい匂いがしてくると「食べたいなぁ……!」という欲求が胸の奥からわきあがってくるような思いをしましたね。

幸いなことに薬が効いて、その後は症状も出ずこうやって元気に仕事ができています。

次に病院にかかったのは2017年ごろ。ちょうど介護食事業を立ち上げた後、耳の痛みで耳鼻科にかかったことがきっかけで、「バセドウ病*4」が見つかりました。症状を抑える薬を服用していたのですが、副作用で体がしんどい。最終的に甲状腺の全摘手術を受けました。

手術の後は声が出しづらくなり、飲み込みづらくなる「嚥下障害」にもなりました。そこで初めて、「そうか、嚥下障害ってこういうことなのか!」と体験したんですね。水が飲めないというのはこういうことか、と。「ごっくん」と飲みくだせなくて、斜め上を見ながら重力で食道に落としていく、といった工夫をしていました。「食べられない、飲み込めない苦しみ」を自分で体感しながら、介護食事業を立ち上げたことは間違っていなかったんだな、 と確信しました。

 

わかります、わかりますー!水って飲みづらいですよね!

斜め上を見ながら、というのは、鳥が水を飲むときのやり方に似ていますよね。嚥下障害を経験してみないとわからないことでした。

 

水は飲みづらいですね!味のついた飲みものは飲めても、水は本当に難しい。

実は、今年(2022年)になって十二指腸がん*5が見つかったんですよ。

クローン病をやっているので毎年内視鏡検査を受けているのですが、念のためにと小腸のほうまでカメラを入れたところ線腫(ポリープ)があると言われましてね。紹介されたがんセンターで内視鏡手術を受けました。

 

大変なご経験をされたんですね。

病気のつらさやその後の生活の不自由さ、といったものは自分で経験してみないとわからないことだらけですよね。

 

*2耳下腺がん:耳下部にある耳下腺のがん(詳しくは国立がん研究センター東病院の情報をご参照ください)。


*3クローン病:大腸や小腸の粘膜に慢性の炎症や潰瘍を引き起こす炎症性腸疾患のひとつ(詳しくは難病情報センターの情報をご参照ください)。


*4バセドウ病:甲状腺ホルモンが過剰に産生される病気。動悸、体重減少、指の震え、暑がり、汗かきなどの症状が起こる(詳しくは日本内分泌学会の情報をご参照ください)。


*5十二指腸がん:胃と小腸をつなぐ十二指腸のがん(詳しくは希少がんセンターの情報をご参照ください)。

 

3.「これだよ! 食べたいのはジャンクフードなんだよ! 」

 

ところで、牛丼の介護食開発では300回を超える試作をされたと聞きました。

牛丼を毎日食べていらっしゃった……?

 

毎日食べていましたよ。牛丼が夢にまで出てきました(笑)。

1日に10パターン作ったけどダメだった、という悔しい思いもしましたね。味だけでなく、やわらかさ、塩分、色々考える必要がありますからね。

「やったー、できた! 」と意気揚々と栄養士さんに見せたら「こんなもの食べたら病気になっちゃいますよ」と即、却下されたりもしました。

吉野家の通常の牛丼の塩分量は2.7グラムほどです。ただ、高齢者の昼食用に牛丼を出すことを考えると、塩分量を半分以下に減らす必要があるわけです。

「吉野家の牛丼」の味の再現、という絶対的なゴールをめざしながら塩分量を大幅に抑える、そのトライアンドエラーを繰り返した結果が、300回という膨大な試作量ということですね。

▲「牛丼が夢にまで出てきました」開発の長い道のりを振り返る佐々木さん

 

 

「もう無理かも」と心が折れたりすることは、なかったのですか?

 

 


ありましたよ(笑)。

ただ、「この事業をやらせてくれ」と自分から言い出したわけですから、意地ですよね(笑)。逆に、会社から「やれ」といわれた事業だったら途中であきらめていたかもしれない。言い出した自分以外やれる人間はいない、その思いでとにかく1年間、商品化できる味を追い求め続けたわけです。

部下もつかない、たったひとりのチームでしたが、開発を進めているうちに「吉野家が高齢者用の食事に取り組んでいる」ということを栄養士さんや歯科医師の先生が非常に好意的に受け止めてくださって。試作品をお持ちしてご意見を聞かせていただいたりもしました。

ある先生に試作品をお持ちしたとき、開口一番「これだよ、これなんだよ、待ってたよジャンクフード! 」と膝を打たれましてね(笑)。高齢者食、介護食はほとんどが煮物のようなおかずですからね。でもやはり、いわゆる「ジャンクフード」を食べたいと思うご高齢者のニーズをその先生は感じておられたんですね。

 

それは励みになりますね!

 

 

励みにはなりますが、同時にハードルも上がる(笑)。

300回の試作を経て、「吉野家」の名前で売り出すことにOKをもらえる商品がなんとか完成しました。ある老人介護施設にご協力いただいて、利用者の方を対象に試食会を開催したんです。そうしたら、普段は利用者さんの完食率が30% 程度のところ、その日は80%を超えましてね。

同行いただいた先生も大変びっくりしていました。私自身も、「この商品は高齢者の皆さんに喜んでいただけるな」と確信しましたね。

 

4.「レトルト」開発の難しさはエベレスト級

 

 

当時はまず、冷凍食品を開発されたんですよね。

 

 

そうです。レトルト開発は時間を要するので、まずは冷凍食品を商品化しました。

冷凍食品開発の難しさが富士山級だとしたらレトルトはエベレスト級なんですよ。

できあがった牛丼の味は、冷凍してもほぼそのまま保たれます。

一方、レトルト加工は加熱や加圧で味が全く変わってしまいますし、味の「こわれ方」の想像がつかないんです。レトルト商品の開発はひたすら試作試作で、自分との戦いでしたね。

 

 

モチベーションを保つのは大変だったとお察しします。私も正直、心が折れそうになったことが何度もありました。

 

モチベーションが下がることも当然、ありましたよ。

試作がどうもうまくいかないときには仕事を切り上げて、近所の居酒屋でバーンと飲んだりしましたよ。「もう忘れよう! 」って(笑)。そうでもしないと、心が折れてしまう。

それに、社内起業なので進捗を会社に報告もしなくちゃいけない。それがもう気が重くて。

 

わかりますー-!

私も報告会、ほんとに気が重いです(笑)!

 

 

5.「もう牛丼は食べられないと思ってた。作ってくれてありがとう! 」

 

報告会では、商品がいつ完成するのか、今後どうなるのかを会社に報告しなくちゃいけないんですが、それがわかるんなら最初から苦労はしていない(笑)。

この先どうなるのかわからないなか、それでもたったひとりで進めていくという、ある種の「孤独感」は常にありました。

柴田さんが心が折れそうになったのはどんな時ですか?

 

20年以上看護師一筋だったのでビジネスのことは用語ひとつわからない、その点は苦労といえば苦労かもしれません。「セグメント」? 何それ? みたいなね(笑)。

ただ、スプーン開発自体は、理想の形状を日頃から思い描いていたので、「苦労」とは少し違うかもしれませんね。思い描いた理想を形にしてくださった職人さんたちとの出会いには感謝しきりです。

 

出会いは大切ですね。

起業家は孤独だと先ほど言いましたが、高齢者施設などで何度も試食会をさせていただくなかで、この商品を待ち望んでいた方がいらっしゃるんだな、という手ごたえは感じていました。

コスト面について介護現場のニーズと100%合致することは難しいと感じることもあります。でも、きちんと手をかけて、食べたいと思っていただけるおいしい介護食をご提供することにはこだわりたいですね。

 

高齢者施設の試食会での印象的な出会いなどはありましたか?

 

 

おかわりしてくださる方が想像以上にたくさんいらっしゃったのは驚きでしたね。

また、普段はご自身で食べられない方が自分で丼を引き寄せて召し上がろうとして、職員の方がびっくりする場面も目の当たりにしました。

ある高齢者施設では、「利用者さんからお話があるそうです」と呼び出されましてね。その利用者さんというのが、ある大企業の役員を経験された方でして。「あぁ、怒られるのかな」と覚悟していたところ、開口一番、「ありがとう!」と。「私はもう牛丼は食べられないと思っていました」と言われて感激したことは、今でも覚えていますね。

▲「もう牛丼は食べられないと思ってた、ありがとう」の言葉は、今でも覚えています(佐々木さん)

 

6.「人生の最後に食べたいもの」を誰もが食べられる世の中に

 

そういったお声は本当にうれしいですよね。

実は私は、将来的には「猫舌堂ブティックカフェ」みたいなお店を実現したいと思っているんです。お客さまには「イイサジースプーン」で気兼ねなくお食事やおしゃべりを楽しんでいただきながら、私自身はそういったお客さまのお困りごとやニーズなどから新しい商品やサービスを創りだしていく。そんないい循環が生まれる場を作ることが夢なんです。

佐々木さんは、今後のお取り組みはどういったものにされたいですか?

 

現在私は、高齢者食開発のコンサルティング会社を立ち上げ、牛丼以外の分野にも取り組んでいます。同じこころざしの仲間同士のパイプ役になっていければうれしいですね。

僕のやっていることは、太平洋に小石を投げたような小さな取り組みかもしれません。それでも、この事業に賛同してくださる方がいるということは、高齢の方の食事の可能性が広がることを待ち望んでいる人たちがいるということなんだろうなと思います。

例えば、「人生の最後に食べたい食事」を食べられるかたちで提供する、ということができたら素晴らしいなと思います。それは「母親の味」かもしれませんし「高級うなぎ」かもしれない。

 

 

佐々木さんは人生の最後に何を召し上がりたいですか?

 

 

白いご飯です。おかゆじゃなくて、米粒ですね。

クローン病で入院した時、病院食でおもゆが出てきたんですけどね。やはり炊きたてのあったかい白いご飯が食べたいと思いました。おかずはいらないから米粒、って(笑)。

 

 

あったかい白いご飯ですよね! 私が人生の最後に食べたいのは、卵かけご飯です!

 

 

▲人生の最後に食べたいのは「白いご飯」(佐々木さん)・「卵かけご飯」(柴田)

※写真はイメージです

 

7.プロの料理人でも、おふくろの味には絶対に勝てない。

 

 

僕はプロの料理人ですけどね、おふくろの味には勝てない。絶対、勝てない。

娘にも言われますよ。お父さんの作った料理は本格的だけどお店の味だ、って。お母さんが作る味はどこかが絶対に違うんですよね。

 

 

何が違うんでしょうね。

 

 

愛情でしょうね。おにぎりだって、機械で握ったのと手で握ったのでは味が違うんですよ。「何か」がそこにはあるんじゃないですかね。技術じゃない「何か」なんですよ。

僕は関西人なので、月2回ぐらいはお好み焼きが出てくる家庭でしたが(笑)、お好み焼き1枚でも母親の味には勝てないです。当時はお好み焼きソースも売っていなかったので、ケチャップ、みりん、ウスターソース、色々混ぜて母が自分で作ってましたね。

もちろん、何でもかんでも手作りである必要もないんですよ。

手間がかかるものを色んなメーカーさんが工夫して作っていることは、とても素晴らしいと思います。料理は長い歴史のなかで変化してきましたし、これからも変化し続けていくものだと思います。

 

8.食べやすいスプーンのカギは「幅」

 

 

ところで、猫舌堂さんがスプーンの会社さんだと聞いたので、こんなスプーンを持ってきましたよ。高齢者施設の試食会でとても評判がよかったんです。

介護食のことより「このスプーンはどこで売っているんですか」と聞かれることが多かったほどですよ(笑)。舌の上に食べものを乗せやすくて飲み込みやすい、と言われました。

社内の他のスタッフは「スプーンは何でもいいじゃないか」と思っていたかもしれないです(笑)。ただ、介護食自体もひとりでこだわりにこだわったので、それに見合ったスプーンが欲しいと思い、インターネットで探し出しました。

▲佐々木さんがこだわった試食用スプーン。猫舌堂のイイサジーと似てるかも!?

 

 

このスプーン、いいですね! とくに幅がいい!

猫舌堂のスプーンも、「幅」にこだわっているんですよー。スプーンを一緒に開発した仲間に見せたら「このスプーン、いいわーっ! 」って言うと思います。

 


それはうれしいですね。

実は今、義理の母を自宅で介護しています。かたいものが食べられなくなりましたし、使いやすいスプーンは限られてきます。それに、年を取ったら、若いころに使っていたカトラリーが重たくて使えなくなるんですよね。ナイフなんかとても使えないです。

 

おっしゃるとおりです。

ナイフを使いづらい方にもお食事を楽しんでいただけるよう、猫舌堂のイイサジーフォークは食べものを刺しやすいだけでなく、お肉などを裂いたりほぐしたりしやすい設計にしてあるんですよ。

▲「このスプーンいいですね! 」とテンションが上がる柴田

 

9.「食べること」は年1000回以上。誰もが「食べるよろこび」を感じられる世の中に

 

ここまで介護食の話をしてきましたが、実は「介護」っていう言葉自体があまり好きではないんです。高齢のために「食べること」が制限される状況自体を変えていかなくてはいけないんじゃないでしょうか。高齢の方々が食べやすいものを提供することが「当たり前」になってほしいと思いますね。

衣食住でいうと、住むところを買うのは一生に1回ぐらい、着るものは年に数十回。けれども「食べること」は年に1000回以上です。1000分の1だからおざなりにしていい、ということは決してないんですよ。高齢になっても毎日の「食べること」によろこびを感じられるような世の中になってほしいですよ。

「バリアフリー」って、言葉だけ言うのは簡単なんです。

例えば車椅子でも入れるレストランを作っても、飲み込みづらい人たちが食べられる料理や食べやすいカトラリーがなければ、「バリアフリー」なんていわば絵に描いた餅みたいなものだと思うんです。

 

どんな状況にあってもその人らしく生きられるような「選択肢」がある世の中にしていきたいですよね。

私自身が病気をして学んだことは、どんな状況になっても「その人」は「その人」であるということなんです。「医療者と患者」「〇〇してあげる側と、してもらう側」といった壁はできるだけ無くしていきたいです。猫舌堂の今後の取り組みも、同じ目線でお仕事できる方や企業さまとご一緒していきたいなと思っています。

 

困っている人をみかけたら「どうしましたか?」とほんの少しだけおせっかいする、そんな世の中でもいいんじゃないかなと思いますよね。

 

 

本当にそう思います。そんな世の中にしていきたいですね。

…まだまだお話し足りないので、今度はぜひご一緒に、お料理しながらおしゃべりしたいです(笑)。本日はありがとうございました!

 


またお話しましょう!

 

 

▲大きなクリスマスツリーの前でパチリ! 再会をお約束しました(撮影時のみマスクを外しています)。

 

 介護用「牛丼の具」は吉野家公式通販ショップなどでお求めいただけます。
(↓ 画像をクリックすると吉野家公式通販ショップページに飛びます)

 

 

 対談こぼれ話 

~「食べること」と「出すこと」はひと続き ~

 

腹痛や下痢などの症状が起こるクローン病を経験された佐々木さん。

外出先でのお手洗い探しの苦労話から、「食べること」だけでなく「出すこと(排泄)」の大切さについて柴田とアツく語る一幕がありました。

 

クローン病のあとは、トイレが不安で快速電車に乗れなかったですね。

 

トイレがどこにあるかの不安、よくわかります!

私自身は年齢的なこともあって、おトイレが近いんです。でも、外出するたびに思うのは、公共のトイレはまだまだ数が少ないということ。デパートのトイレはフロアのすみっこだったり。もっと堂々と真ん中に、ドーンとたくさん設置すればいいのに、とよく思います。

 

日本人は特に「排泄」を隠しがちだと感じます。海外はもっとオープンな印象です。トイレのドアの下も大きく空いていたりしますしね。排泄は隠すようなことではなく、「食べること」と同じく人間として当たり前の行為だととらえているような気がします。

 

佐々木さんがおっしゃるとおり、「食べること」の先にはお口のケア、そして「出すこと(排泄)」が当然つながります。将来的には、そういった領域にも事業をひろげていきたいと考えています。

※記事の内容はその方個人の感想・体験です。すべての人に当てはまるものではありません。

 

 「一食十色」について

「一食十色(いっしょくといろ)」とは、「自分の『一食』、そしてみんなの『一食』のあり方、食べ方にさまざまな選択肢(=十色)を拡げていく」という意味合いを込めて、猫舌堂が作ったことばです。

 猫舌堂代表の柴田はかつて、がん治療の影響で「食べること」に悩みを抱えていました。

「みんながどうやって食べているのかを知りたかった」

「ほしかったのは、『正しい情報』よりも『選択肢』」

「選択肢があれば、あんなに心細い思いをせずに、心にゆとりを持って自分に合った食べかたを探せたはず」

 ・・・当時を振り返ってそう語る柴田の言葉から始まった「一食十色」。「食べること」に悩んだ経験を持つ当事者の方の生のお声を対談形式でお届けしています。