猫舌堂Webマガジン「一食十色」 color.2

猫舌堂Webマガジン「一食十色」 color.2

2022 ⁄ 04 ⁄ 09

 一食十色(いっしょくといろ)」は、「自分の『一食一色』を持ち寄り、『一食十色』に色(=選択肢)を拡げていく」という意味合いを込めて、猫舌堂が作ったことばです。

 病気や手術などで食事に悩みを抱えたとき、
「みんながどうやって食べているのかを知りたかった」
「ほしかったのは、『正しい情報』よりも『選択肢』」
「選択肢があれば、あんなに心細い思いをせずに、心にゆとりを持って自分に合った食べかたを探せたはず」

 そういった猫舌堂代表の柴田自身の経験から、この企画は始まりました。

 
2回目を迎える「一食十色」color.2 のテーマは、

化学放射線治療中とその後、今、どうやねん


 
今回のゲストは、抗がん剤を使った化学療法と、放射線治療を同時におこなう化学放射線療法を受けたお2人です。

 お2人の出会いから、副作用のこと、食に関するお悩みと工夫など、イロイロな経験・思いをお話しいただきました。

 

 

color.2 ゲスト

 

ひろみ

 

 

 

あっつん

 

  

  

■グラフの点数について

1点 障害認定を受けている
2点 障害認定は受けていないが、生活に支障がある(生活に強いストレスを感じている)
3点 障害認定は受けていないが、生活に支障がある(補助具や工夫などによって、生活のストレスはコントロールできている)
4点 障害認定は受けておらず、生活にも支障はない

  

  

1.発症時の仕事と治療のハナシ

 

 最近、「がんと就労」についての話題をよく耳にしますが、ひろみさんは、がんが見つかったとき、お仕事はされていましたか?

 

 私は料理人で、大阪で居酒屋をやっていました。
 実は、オープンしてまだ2カ月半しか経ってなかったんですよ。そのときは「うそでしょ」とか「こんなこともあるのか」という気持ちでした。

 
 

  「これから」というときに発症されたのですね。

 

 

 
  はい。もともと母が喫茶店をやっていたんです。食べることも料理を作ることも、そしてお酒も好きだったので母の引退を機に、居酒屋に切り替えました。

 新しいお店のために、他店にリサーチに行ったり、お店の手直しをしたり。やっとの思いでオープンを迎えた矢先のことでした。

 お店のことは、本当に心残りで「絶対にお店を再開させる!」「絶対に、もう一度やるぞ!」という強い思いがあったから、つらい治療も乗り越えられたのかもしれません。

  

 

 不安はありませんでしたか? 

 

 

  後で詳しくお話しますが、副作用でほとんど味覚を失ってしまったんです。味覚が無くなったら、料理は作れない。
 「どうするの?」「じゃあ、誰か料理人を雇う?」「いやいや、自分でやりたいのに」と、グルグル考え込んでしまいました。味覚が戻るまでの半年間、本当につらかった。やり切れない気持ちでいっぱいでした。

 

2.仲間ってイイ!

 

① 出会いは病室でした


 ひろみさんと出会ったのは、入院中でした。同室になってすぐに打ち解けました。でも退院してからは、お互いにあまり連絡を取り合えませんでしたね。 

 

 そうですね。退院後は、連絡を取る余裕が無かったです。退院した時点は、治ったとまでは思っていませんでしたが「悪いものは無くなった」という感覚でいました。 

 ところが、退院後のほうが治療した顔が痛くて眠れないし、食べることもできないし、1カ月ぐらいおかしくなっていました。食べられないから、体重はどんどん落ち、15キロも減ってしまいました。今は、15キロ以上戻っちゃったけど(笑)。

 

 退院直後は、私も化学放射線療法の副作用がつらくて、いっぱいいっぱいでした。治療を重ねる度に、どんどんひどくなっていき、手術よりつらかったです。
 放射線治療の副作用は、ずっと船酔いや二日酔いのような状態でした。並行しておこなった抗がん剤も量を少なくしてもらっていたのに、倦怠感がつらくて。
 主治医に「この薬を続ける気力がありません」と伝えて、中止してもらいました。

 

 お互い大変でしたね! こんなときだからこそ、外来であっつんさんを見かけたら、何だかうれしくて。「あっつんさーん!」と駆け寄ったことを覚えています。

 

 

② 奮起させられた仲間のがんばり


 

 ひろみさんは、治療中に同じ種類のがんの方と出会えましたか?  

 

 同じがんの方に出会ったことはないです。
 でも、退院した年の年末に、大阪マラソンのテレビ中継を見て、勇気をもらえました。
 実は、大阪国際がんセンターのマラソンチームが出場していたんです。それぞれが、がんの後遺症を抱えながら笑顔で走っている姿を見て、とても感動して気が付いたら泣いていました。

 同じ病院の方々だったので、親近感もわきました。「こんなに身近なところで、みんな一生懸命がんばっているんだ!」って。

 翌年には、私もマラソンを走ったんですよ。自分が入院した病院を見ながら「こんなふうに走れるようになったよ! みんなのことも応援してるよ!」そう思いながら走っていました。

 

  

 仲間のがんばっている姿には、本当に勇気をもらえますね!

 

 

3.食にまつわる後遺症~私なりの解決策はコレ!

 

① 仲間と情報交換

 

  

 後遺症について、事前に医師から説明はありましたか?

 

  

 どんな症状が出るか、という説明がありました。
 しかしそれが「3カ月で戻るのか、半年で戻るのか、人それぞれなのでハッキリとわからない」という感じでした。「ずっと戻らなかったらどうしよう」と不安でした。

 

  私が受けた説明で今でも覚えているのは「食べられなくなったら、胃ろうを造る」と言われたこと。胃ろうでチューブから直接胃に栄養を注入するのではなくて、自分の口で食べて栄養を取りたい! だから、何が何でも食べようと思いました。

 ありがたかったのは、仲間たちから味覚障害の後遺症についての情報があったので、自分のなかで、めどが付いていたんですよね。

 

  私もがん経験者の方から「ニンジンはええよー」って教えてもらって、ジューサーで、生のニンジンとリンゴを絞って飲んでいました。朝、昼、晩、ごはんみたいな感じで。

 

 それ、私も、ひろみさんから教えてもらいました(笑)。こういう、仲間からの情報って、ホント貴重ですよね。

 

 

② 味覚障害は突然に

 

 放射線治療を始めて1カ月ぐらいで、まったく味がしなくなりました。味覚が戻るまでの半年間は、ほとんど食べられなかったです。
 いろいろ試しました。塩をなめたりもしました。でも、どれも味を感じませんでした。
   

 私も、ある日突然、味覚障害はやってきました。
(『東京ラブストーリー』か! ←とツッコミを入れてみる)
 家族でしゃぶしゃぶを食べていたときに、ごまだれもポン酢も、味がしなくなっていることに気付きました。治療が始まってから、2~3週間ぐらいしてからだったと思います。まったく味を感じなかったわけではありませんが、徐々に徐々に、という感じで。私の場合、最後に残ったのは「甘味」でした。

 ひろみさんは、食べづらい食べものはありましたか?

 

 出来合いのものを食べられなくなりました。添加物や保存料を多く使っているからでしょうか。強烈な薬品を食べているような感覚でした。「単に味がない」というより、独特な感じがしました。

  

 

 今も、薬のような味がするのですか?

 

 

  今は味覚が戻っているので、おいしく食べられるのですが……。あの頃の記憶が戻ってしまい、添加物は強く感じます。

 

 

③ ひたすら食べたのは、あの食材!!

 *スイカを求めて、どこまでも?

 

 ひろみさんの「思い出の食べもの」はスイカですよね。そういえば、入院中の病室でスイカがブームになっていましたが、火をつけたのはひろみさんですか?

 

 

 私が「スイカスイカ」って言っていたから広まったらしいと、後で看護師さんに聞きました(笑)。 

 あの頃は、唯一食べられたのがスイカだったんです。スイカに取りつかれていました。「スイカ点滴」してほしいって思ったくらい(笑)。
 外出許可をもらって、わざわざデパ地下にスイカを買いに行ったこともあります。スイカが無いと不安で不安で。スイカを見つけたときは、「良かった!  スイカがあった!」って感動しました。

 

 

 私も味覚障害がひどいときは、スイカを食べていました。シャリっとした食感がいいのかな?
 手術で唾液が少なくなっているうえに、放射線治療でさらに乾燥して口の中が砂漠化していました。水だとすぐ流れてしまうけど、スイカなら水分が口にとどまってくれる。味のクセが無いのも良かった気がします。

 

 *すごいぞ! 米の力

 

 味覚が戻ってきたら、お米が食べられるようになりました。オムライスやミニ卵丼……。最初はスプーンに少量から。すごいもので、食べる量が増えるにつれ、どんどん元気になっていきました。
 病気になる前は、お酒をよく飲んでいて、お米を食べないことも多かったんですよ。でも、お米のおかげで回復しました。
 

 

 お米の力、すごいですね!
 

 

 *麺! とにかく麺!

 

 

 ひろみさんは、開口障害(口が開きづらくなる症状)もあったんですよね。
 

 

 治療直後は、ほとんど開きませんでした。今も、指2本は入らないかなあ。特に、木のスプーンは厚みがあるので口に入らないんです。普通のスプーンなら食べられるけど、深さがあるのでやっぱり口の中には入りません。
 大きい食べものだと小さく切ったり、お寿司だとネタとシャリを分けて食べたり。お行儀が悪い食べかたをするから、人の目が気になって仕方がなかったです。
 退院直後は、外食には全然行けませんでした。「食べこぼしてしまったらどうしよう」って。その点、麺類は、口が開かなくても食べやすかったですね。麺類も、スイカと同様、取りつかれたように食べていました(笑)。
  

 

 *命をつなぐ「エンシュア®(医療用の栄養剤)」

 

 見てください! このエンシュア®。当時は、朝、昼、晩に飲んでいて、私の命の恩人なんです。実は、賞味期限は切れているのですが「あのとき、助けてもらったんやでー」と思うと、処分できません。大事に台所に置いています。あっつんさんも飲んでいましたか?

 

 

  私は「栄養は食べもので取るから、意地でも飲まない!」って思っていました(笑)。
 エンシュア®にはいろんな味がありますよね。お気に入りの味はありましたか?

 

 

 コーヒー味です。ふんわりとした風味で、飲みやすかったです。

 

 

 

④ 食事を楽しむ大作戦!!

  

  味覚がないときに、何か工夫をしていましたか?

 

 

 味覚がないときは、あまり食欲がわきませんでした。食べられるようになったのは、味覚が戻ってから。
 それまでの間、何を食べていたのかもあまり覚えていません。炭酸飲料ばかり飲んでいたように思います。「シュワシュワ」な食感が良かったのかも。

 食感が良いと楽しいですよね。でも私の場合は、炭酸飲料は避けるようにと言われたような気がします。
 お酒も我慢していたので、ワイングラスでお茶やブドウジュースを飲んでいました。周りの人と同じようにワインを飲んでいるのをイメージしながら。
 食欲がなくても「前みたいに飲めたらいいな。食べられたらいいな」って、ずっと思っていました。

 

 

 食べかたの工夫も必要でした。治療した側の顔の感覚が今も無いので、食べこぼしてもわからなかったりします。
 スプーンを使うときは、作戦を立てて食べていました。
 

 
  

  作戦! どんな!?

 

 

 スプーンを横向きにして、食べものをすべり込ませるようにして口に入れたり、吸い込むようにして食べていました。
 でも、猫舌堂のiisazyスプーンだと、薄いので縦方向からでもちゃんと食べられるんですよ。

 

 

  

 iisazyスプーンを愛用してくれてうれしいです。

 

 

  私は、咀嚼(そしゃく)には問題がなかったので、口の中に入れてしまえば「こっちのモン」です(笑)。

 

 

⑤ どうしてる? お口のリハビリ

  

 口が開くように、何かリハビリはされていますか? 

 

 

  毎日口を開ける訓練はしています。あっつんさんは、どのぐらいまで戻りましたか?

 

 

 私は8割ぐらいかな。口を動かさなかったり、話さなかったり、食べなかったりすると動きが固まってきます。
 リンパ節を取っているせいか、夕方になるとリンパ液が詰まってくるみたいで。
 たくさん笑う、話す、食べるが私のリハビリですね。
  

  

4.あれから5年! その後どうやねん

 

① お店を再開! 「おいしい」がうれしい

 

   

 ところで、お店はもう再開しているのですよね。

 

 

 

  おかげさまで、2018年4月に再開しました。

 

 『おばんざい居酒屋心しん』

 

  

 病気になる前と比べて、気持ちに変化はありましたか?

 

  

 気持ちの持ち方が変わりました。前は、すべて「ちゃんとしないと」って思ってたから、いっぱいいっぱいだったかもしれません。
 今は、料理を作れて、おいしいと言ってもらえることが本当にうれしくて人と話せるし、自分自身も元気になれるから、とても楽しいです。
 

 

② リアルおしゃべり庵『猫舌堂茶寮』

 

 2022年4月16日に開催する猫舌堂のリアルイベント『猫舌堂茶寮で、ひろみさんにお料理を提供していただくことになりました。ありがとうございます。  

 

 

 お話をいただいたとき、「えー-っ!?」と驚きました。それと同時に、ありがたく感じました。
 お料理は色とりどりのワンプレートで、『猫舌堂茶寮』をイメージして考えました。

 みんなで一緒に集まっている。一つのものでもおいしいけど、いろんな具材が集まれば、もっとおいしくなる。
 「みんないてるやん! みんなで食べよう!」「いいやん。こぼしたって。私も一緒やん」そんなイメージです。

『色とりどりワンプレート「笑顔の輪」ごはん』

 

 ひろみさんの明るい雰囲気と、心のこもったお料理でみなさんに楽しんでもらえると思います。「ひとりじゃない」「何となく幸せ」という気持ちになってもらえたらうれしいですね。

 

 

5.後遺症で悩んでいる方へのメッセージ

  

 いろんな病気の方やいろんな後遺症の方もいると思います。私も、病気のことを忘れたことはないし、今でも毎日思い出さない日はない。病気のときの自分とは、いつも一緒にいます。その頃も含めて、すべて自分自身すべてのことがありがたいんです
 「あのときは、あれだけしかできなかったけど、今はこんなこともできるようになった」と、常に思い出しています。今のありがたみが、よりわかるようになりました。


  前向きじゃないといけない、ということはないと思います。自分らしさを大切に、自分らしく生きてほしい。
 そのために「ひとりじゃないよ」と伝えたいです。

 

 笑っていてほしいですね。私も「ひとりじゃないよ。みんないるよ」って伝えたいです。
 

 

 

 今回のcolor.2はいかがでしたか?
 ひろみさんの、明るい雰囲気に生きる力と喜びを感じました。
 イロイロな食感が一つになった『猫舌堂茶寮』のワンプレート。同じ時間を一緒に過ごせたらうれしいです。 

 

※記事の内容はその方個人の感想・体験です。すべての人に当てはまるものではありません。