「一食十色(いっしょくといろ)」は、「自分の『一食一色』を持ち寄り、『一食十色』に色(=選択肢)を拡げていく」という意味合いを込めて、猫舌堂が作ったことばです。
病気や手術などで食事に悩みを抱えたとき、
「みんながどうやって食べているのかを知りたかった」
「ほしかったのは、『正しい情報』よりも『選択肢』」
「選択肢があれば、あんなに心細い思いをせずに、心にゆとりを持って自分に合った食べかたを探せたはず」
そういった猫舌堂代表の柴田自身の経験から、この企画は始まりました。
2回目を迎える「一食十色」color.2 のテーマは、
「化学放射線治療中とその後、今、どうやねん」
今回のゲストは、抗がん剤を使った化学療法と、放射線治療を同時におこなう化学放射線療法を受けたお2人です。
お2人の出会いから、副作用のこと、食に関するお悩みと工夫など、イロイロな経験・思いをお話しいただきました。
ひろみ

あっつん


1点 障害認定を受けている
2点 障害認定は受けていないが、生活に支障がある(生活に強いストレスを感じている)
3点 障害認定は受けていないが、生活に支障がある(補助具や工夫などによって、生活のストレスはコントロールできている)
4点 障害認定は受けておらず、生活にも支障はない
1.発症時の仕事と治療のハナシ

最近、「がんと就労」についての話題をよく耳にしますが、ひろみさんは、がんが見つかったとき、お仕事はされていましたか?

私は料理人で、大阪で居酒屋をやっていました。
実は、オープンしてまだ2カ月半しか経ってなかったんですよ。そのときは「うそでしょ」とか「こんなこともあるのか」という気持ちでした。

「これから」というときに発症されたのですね。

新しいお店のために、他店にリサーチに行ったり、お店の手直しをしたり。やっとの思いでオープンを迎えた矢先のことでした。
お店のことは、本当に心残りで「絶対にお店を再開させる!」「絶対に、もう一度やるぞ!」という強い思いがあったから、つらい治療も乗り越えられたのかもしれません。

不安はありませんでしたか?

「どうするの?」「じゃあ、誰か料理人を雇う?」「いやいや、自分でやりたいのに」と、グルグル考え込んでしまいました。味覚が戻るまでの半年間、本当につらかった。やり切れない気持ちでいっぱいでした。
2.仲間ってイイ!
① 出会いは病室でした

ひろみさんと出会ったのは、入院中でした。同室になってすぐに打ち解けました。でも退院してからは、お互いにあまり連絡を取り合えませんでしたね。
そうですね。退院後は、連絡を取る余裕が無かったです。退院した時点は、治ったとまでは思っていませんでしたが「悪いものは無くなった」という感覚でいました。
ところが、退院後のほうが治療した顔が痛くて眠れないし、食べることもできないし、1カ月ぐらいおかしくなっていました。食べられないから、体重はどんどん落ち、15キロも減ってしまいました。今は、15キロ以上戻っちゃったけど(笑)。

退院直後は、私も化学放射線療法の副作用がつらくて、いっぱいいっぱいでした。治療を重ねる度に、どんどんひどくなっていき、手術よりつらかったです。
放射線治療の副作用は、ずっと船酔いや二日酔いのような状態でした。並行しておこなった抗がん剤も量を少なくしてもらっていたのに、倦怠感がつらくて。
主治医に「この薬を続ける気力がありません」と伝えて、中止してもらいました。

お互い大変でしたね! こんなときだからこそ、外来であっつんさんを見かけたら、何だかうれしくて。「あっつんさーん!」と駆け寄ったことを覚えています。
② 奮起させられた仲間のがんばり

ひろみさんは、治療中に同じ種類のがんの方と出会えましたか?

でも、退院した年の年末に、大阪マラソンのテレビ中継を見て、勇気をもらえました。
実は、大阪国際がんセンターのマラソンチームが出場していたんです。それぞれが、がんの後遺症を抱えながら笑顔で走っている姿を見て、とても感動して気が付いたら泣いていました。
同じ病院の方々だったので、親近感もわきました。「こんなに身近なところで、みんな一生懸命がんばっているんだ!」って。
翌年には、私もマラソンを走ったんですよ。自分が入院した病院を見ながら「こんなふうに走れるようになったよ! みんなのことも応援してるよ!」そう思いながら走っていました。

仲間のがんばっている姿には、本当に勇気をもらえますね!
3.食にまつわる後遺症~私なりの解決策はコレ!
① 仲間と情報交換

後遺症について、事前に医師から説明はありましたか?

どんな症状が出るか、という説明がありました。
しかしそれが「3カ月で戻るのか、半年で戻るのか、人それぞれなのでハッキリとわからない」という感じでした。「ずっと戻らなかったらどうしよう」と不安でした。

ありがたかったのは、仲間たちから味覚障害の後遺症についての情報があったので、自分のなかで、めどが付いていたんですよね。

私もがん経験者の方から「ニンジンはええよー」って教えてもらって、ジューサーで、生のニンジンとリンゴを絞って飲んでいました。朝、昼、晩、ごはんみたいな感じで。

それ、私も、ひろみさんから教えてもらいました(笑)。こういう、仲間からの情報って、ホント貴重ですよね。
② 味覚障害は突然に

放射線治療を始めて1カ月ぐらいで、まったく味がしなくなりました。味覚が戻るまでの半年間は、ほとんど食べられなかったです。
いろいろ試しました。塩をなめたりもしました。でも、どれも味を感じませんでした。

私も、ある日突然、味覚障害はやってきました。
(『東京ラブストーリー』か! ←とツッコミを入れてみる)
家族でしゃぶしゃぶを食べていたときに、ごまだれもポン酢も、味がしなくなっていることに気付きました。治療が始まってから、2~3週間ぐらいしてからだったと思います。まったく味を感じなかったわけではありませんが、徐々に徐々に、という感じで。私の場合、最後に残ったのは「甘味」でした。
ひろみさんは、食べづらい食べものはありましたか?

今も、薬のような味がするのですか?

③ ひたすら食べたのは、あの食材!!
*スイカを求めて、どこまでも?

私が「スイカ、スイカ」って言っていたから広まったらしいと、後で看護師さんに聞きました(笑)。
あの頃は、唯一食べられたのがスイカだったんです。スイカに取りつかれていました。「スイカ点滴」してほしいって思ったくらい(笑)。
外出許可をもらって、わざわざデパ地下にスイカを買いに行ったこともあります。スイカが無いと不安で不安で。スイカを見つけたときは、「良かった! スイカがあった!」って感動しました。


私も味覚障害がひどいときは、スイカを食べていました。シャリっとした食感がいいのかな?
手術で唾液が少なくなっているうえに、放射線治療でさらに乾燥して口の中が砂漠化していました。水だとすぐ流れてしまうけど、スイカなら水分が口にとどまってくれる。味のクセが無いのも良かった気がします。
*すごいぞ! 米の力

味覚が戻ってきたら、お米が食べられるようになりました。オムライスやミニ卵丼……。最初はスプーンに少量から。すごいもので、食べる量が増えるにつれ、どんどん元気になっていきました。
病気になる前は、お酒をよく飲んでいて、お米を食べないことも多かったんですよ。でも、お米のおかげで回復しました。

お米の力、すごいですね!
*麺! とにかく麺!

ひろみさんは、開口障害(口が開きづらくなる症状)もあったんですよね。

大きい食べものだと小さく切ったり、お寿司だとネタとシャリを分けて食べたり。お行儀が悪い食べかたをするから、人の目が気になって仕方がなかったです。
退院直後は、外食には全然行けませんでした。「食べこぼしてしまったらどうしよう」って。その点、麺類は、口が開かなくても食べやすかったですね。麺類も、スイカと同様、取りつかれたように食べていました(笑)。
*命をつなぐ「エンシュア®(医療用の栄養剤)」


私は「栄養は食べもので取るから、意地でも飲まない!」って思っていました(笑)。
エンシュア®にはいろんな味がありますよね。お気に入りの味はありましたか?
コーヒー味です。ふんわりとした風味で、飲みやすかったです。
④ 食事を楽しむ大作戦!!
味覚がないときに、何か工夫をしていましたか?
味覚がないときは、あまり食欲がわきませんでした。食べられるようになったのは、味覚が戻ってから。
それまでの間、何を食べていたのかもあまり覚えていません。炭酸飲料ばかり飲んでいたように思います。「シュワシュワ」な食感が良かったのかも。

食感が良いと楽しいですよね。でも私の場合は、炭酸飲料は避けるようにと言われたような気がします。
お酒も我慢していたので、ワイングラスでお茶やブドウジュースを飲んでいました。周りの人と同じようにワインを飲んでいるのをイメージしながら。
食欲がなくても「前みたいに飲めたらいいな。食べられたらいいな」って、ずっと思っていました。

食べかたの工夫も必要でした。治療した側の顔の感覚が今も無いので、食べこぼしてもわからなかったりします。
スプーンを使うときは、作戦を立てて食べていました。

作戦! どんな!?
スプーンを横向きにして、食べものをすべり込ませるようにして口に入れたり、吸い込むようにして食べていました。
でも、猫舌堂のiisazyスプーンだと、薄いので縦方向からでもちゃんと食べられるんですよ。

iisazyスプーンを愛用してくれてうれしいです。
⑤ どうしてる? お口のリハビリ

口が開くように、何かリハビリはされていますか?
毎日口を開ける訓練はしています。あっつんさんは、どのぐらいまで戻りましたか?

私は8割ぐらいかな。口を動かさなかったり、話さなかったり、食べなかったりすると動きが固まってきます。
リンパ節を取っているせいか、夕方になるとリンパ液が詰まってくるみたいで。
たくさん笑う、話す、食べるが私のリハビリですね。
4.あれから5年! その後どうやねん
① お店を再開! 「おいしい」がうれしい

ところで、お店はもう再開しているのですよね。
おかげさまで、2018年4月に再開しました。

『おばんざい居酒屋心しん』

病気になる前と比べて、気持ちに変化はありましたか?
気持ちの持ち方が変わりました。前は、すべて「ちゃんとしないと」って思ってたから、いっぱいいっぱいだったかもしれません。
今は、料理を作れて、おいしいと言ってもらえることが本当にうれしくて。人と話せるし、自分自身も元気になれるから、とても楽しいです。
② リアルおしゃべり庵『猫舌堂茶寮』

2022年4月16日に開催する猫舌堂のリアルイベント『猫舌堂茶寮』で、ひろみさんにお料理を提供していただくことになりました。ありがとうございます。

お話をいただいたとき、「えー-っ!?」と驚きました。それと同時に、ありがたく感じました。
お料理は色とりどりのワンプレートで、『猫舌堂茶寮』をイメージして考えました。
みんなで一緒に集まっている。一つのものでもおいしいけど、いろんな具材が集まれば、もっとおいしくなる。
「みんないてるやん! みんなで食べよう!」「いいやん。こぼしたって。私も一緒やん」そんなイメージです。

『色とりどりワンプレート「笑顔の輪」ごはん』

5.後遺症で悩んでいる方へのメッセージ
いろんな病気の方やいろんな後遺症の方もいると思います。私も、病気のことを忘れたことはないし、今でも毎日思い出さない日はない。病気のときの自分とは、いつも一緒にいます。その頃も含めて、すべて自分自身。すべてのことがありがたいんです。
「あのときは、あれだけしかできなかったけど、今はこんなこともできるようになった」と、常に思い出しています。今のありがたみが、よりわかるようになりました。
前向きじゃないといけない、ということはないと思います。自分らしさを大切に、自分らしく生きてほしい。
そのために「ひとりじゃないよ」と伝えたいです。
笑っていてほしいですね。私も「ひとりじゃないよ。みんないるよ」って伝えたいです。
今回のcolor.2はいかがでしたか?
ひろみさんの、明るい雰囲気に生きる力と喜びを感じました。
イロイロな食感が一つになった『猫舌堂茶寮』のワンプレート。同じ時間を一緒に過ごせたらうれしいです。
※記事の内容はその方個人の感想・体験です。すべての人に当てはまるものではありません。