猫舌堂Webマガジン「一食十色」 color.6

猫舌堂Webマガジン「一食十色」 color.6

2022 ⁄ 08 ⁄ 27

一食十色(いっしょくといろ)」は、「自分の『一食一色』を持ち寄り、『一食十色』に色(=選択肢)を拡げていく」という意味合いを込めて、猫舌堂が作ったことばです。

 病気や手術などで食事に悩みを抱えたとき、

「みんながどうやって食べているのかを知りたかった」
「ほしかったのは、『正しい情報』よりも『選択肢』」
「選択肢があれば、あんなに心細い思いをせずに、心にゆとりを持って自分に合った食べかたを探せたはず」

そういった猫舌堂代表の柴田自身の経験から、この企画は始まりました。

回目を迎える「一食十色」color.6 のテーマは、

舌を切除した後の日常生活の変化と工夫

 

今回のゲストは、舌がんの手術を受けたじつはらさんとオズさん。

実はこのおふたり、手術担当のドクターも、舌切除後の再建方法も同じという「先輩後輩」の間柄です。手術を乗り越え、再建した舌で食事ができるようになるまでの道のり、そして、その決して平坦ではなかった道のりを前向きに歩くための「人とのつながり」についてお話いただきました。

color.6 ゲスト

 

じつはら

 

 

 

オズ

■グラフの点数について

1点 障害認定を受けている
2点 障害認定は受けていないが、生活に支障がある(生活に強いストレスを感じている)
3点 障害認定は受けていないが、生活に支障がある(補助具や工夫などによって、生活のストレスはコントロールできている)
4点 障害認定は受けておらず、生活にも支障はない

  

  

1.手術後初めての外食に「感動した(舌)!」

手術後初めての固形物は「二等分カットのお寿司」~じつはらさんの場合~

 7年前に舌の半分を摘出して以来、「食べること」についてはいろいろなエピソードがあります。

思い出の一品は、と聞かれたら、手術後初めての外出で思いがけず食べたお寿司ですね。

実はこのお寿司屋さん、「お見舞いお疲れさま会」の名目で、僕以外の家族だけで行くはずだったんです(笑)。ただ、ダメ元で担当の先生に外出をお願いしてみたら、「いいですよ」とあっさり許可がいただけて。急きょ僕も合流した、という裏話があります。

術後初めての固形物でしたし、半分切除してしまった自分の舌に味覚が残っているかどうかも不安でした。ですが、食べてみると、手術前と変わらない「お寿司の味」がしたことに感動したのを覚えています。

唯一心残りがあるとすれば、写真を撮っておかなかったことですね(笑)。当日の記録も残していないので記憶もあいまいなんです。もったいないことしたな、って思います(笑)。

▲思いがけない外出許可で食べたお寿司(イメージ)。「写真は撮っていなかったのでイメージ写真を持ってきました(笑)」とじつはらさん。この日の記憶はご家族ひとりひとりの心の中に大切にしまわれているはず。

 

旦那さんがお箸で短く切ってくれた「うどん」~オズさんの場合~

 

私も、手術後初めての外食が思い出の一品ですね。退院後、以前からお気に入りだったお店で食べたうどんです。

舌の感覚が半分無い状態だったので、想像以上に食べづらくて。食べても食べてもむしろ麺が増えてるんじゃない?と思うほどだったんです(笑)。

見かねた夫がお箸で麺を細かく切ってくれて、無事完食。周りの皆さんに「よかったねー!」って拍手までしてもらっちゃいました(笑)。普段はそんなにわかりやすい気遣いをしない夫の行動も嬉しくて、おいしさも倍増でしたね。

 

▲普段はシャイ(?)な旦那さんがカットしてくれた短い「うどん」(こちらもイメージ写真)。うどんの味も、旦那さんの優しさも忘れがたい思い出ですね。

 

※上記に登場するじつはらさんの「お寿司」、オズさんの「うどん」はそれぞれ、ミニコラム「猫めし」でご紹介しています。

2.舌がんのはじまりは「治らない口内炎」~じつはらさんの場合~

 じつはらさんは私の「舌がんの先輩」ですが、がん発覚はどういった経緯だったのですか?

 

 

舌の右側に口内炎のようなものができてるな……というのがきっかけです。

 口内炎はよくできていたので、最初は特に気にせず過ごしていました。

 ただ、2カ月経っても治らないのでこれはおかしいなと。「口内炎 治らない」とネットで検索してはじめて、舌にもがんができると知って。検索結果で出てきた画像と自分の舌にある「口内炎」が似ていると気づき、近くの口腔外科に行きました。口腔外科から紹介された大学病院でがんと診断されました。

当時は職場のある九州で1人暮らしをしていたのですが、休職して埼玉県の実家に戻り、東京都内の大学病院に入院しました。手術を受けたのは、「口内炎」に気づいてから、たしか4カ月後ぐらいですね。

 

 

4カ月ですか!その頃、痛みは大丈夫でしたか?

 

 

手術直前には、舌にできたがんが歯に触れると痛くて眠れないくらいになっていましたね。今思えば、「口内炎」のサイズが徐々に大きくなっている自覚もあったので、放置したことは正直悔やまれます。

 

もう少し早めに診断がついていれば、切除する舌の面積も小さく済んだかもしれないので。ただ、舌がんの存在自体を知らなかったので、こんな大ごとになるとは思ってもみなかったんですよ。

オズさんのがんは、僕と違って口内炎ぽくはなかったんですよね?

 

3.「診察は3日後」じつはらさんとの運命の出会い ~オズさんの場合~

そうなんです。私の場合は口内炎っぽくはなかったですね。

きっかけは舌の痛みです。ただ、目に見えるところには傷も見当たらず、歯ブラシでひっかいたのかな、とも思ってしばらく放置していました。

ところが、一週間経っても痛みがひかないので「まずいぞ」と。鏡を見ながら口の奥のほうまでライトを照らして痛む場所を探したら、舌の奥に亀裂のような傷を見つけたんです。触るとしこりのようなものもあったので、すぐに病院に受診予約を入れました。

というのも、もともと歯ぐきに「白板症(はくばんしょう)*」という病気があって。悪性化してがんになる可能性もある病気なので、10年ほど経過観察中だったんです。口腔がんについても少し知識があったので、しこりを感じたときに「これは大変だ」と。

*白板症について、詳しくは日本口腔外科学会の情報をご参照ください。

 

 

でも、すぐに診察というわけにはいかなかったんですよね?

 

 診察の空きが出るまで3日待ちました。その3日の間にネットで舌がんについて調べまくっていたら、じつはらさんが出演されている動画にたどり着いたんです。

 

 

運命の出会いですね(笑)。

 

 

運命の出会いですよね(笑)。

 

動画は、何度も何度も観ました。

実は、3日待って診察を受けた病院では「大丈夫、気のせいですよ」と言われてしまったんです。それでも、じつはらさんと同じ病院で診てもらいたい、と紹介状を書いていただいて。紹介先の病院でがんと診断されました。

その後、じつはらさんが所属されていた団体のウェブサイトを通じて、「おかげでいい先生にたどり着きました」とお礼のメールを送ったんです。もともと、インターネットを通じて人とつながるのは怖い、と思っていたのですが、どうしてもお礼が言いたくて、勇気を出してメールを送りました。正直、あのとき、じつはらさんが発信されていた情報がなければ、途方に暮れていたと思うんです。

 

僕はオズさんの恩人、ということで(笑)。

 

僕たち、担当の先生も同じだし、ほぼ同じ手術を受けているんですよ。舌の再建方法も同じで、左腕から血管ごと移植して、皮膚は太ももから移植しました。

 

 

首と左腕にある手術の痕が「おそろい」なんですよね!

 

 

▲「舌の手術は首から切開しました。手術直後は首が伸びないので、コップの水が飲めないんです。」じつはらさんが首の手術痕を見せながら説明してくださいました。

▲舌の再建は左腕の組織と血管を移植。「手術の痕は、じつはらさんとおそろいなんですよ(笑)」とオズさん。

 

4.再建した舌を「動かしたい」「動かしたくない」~それぞれの道のり~

食べものは動くほうの舌に乗せ、位置のコントロールに「全集中」

 

じつはらさんは手術を受けられてから7年経っていますが、今のように食べられるようになるまでには、やはり苦労されていますよね。

 

苦労したことは山ほどありますね。

手術直後は、ティースプーン一杯の水も飲み込めませんでした。

腕から移植した部分は口の底に縫いあわせているので、前に「ベーッ」と出したりはできません。残したほうの舌も、固定している部分にくっついているので可動域は狭く、動かしづらいんです。

ですので、食べるときは、動くほうの舌に乗せて、位置をコントロールしながら飲み込むことに「全集中」していました。舌先のトレーニングを続けていると、舌の可動域が少しずつ広がり、ひと口のサイズも少しずつ大きくなっていきました。大きいお餅を口に入れたときに反射的に口からポーンと出してしまったり、という失敗もありましたよ(笑)。

▲術後すぐ、舌のベストポジションに食べものを乗せることに「全集中」の一コマ。

 

今でも、歯に食べものがはさまっても、舌でモゾモゾして取ったりはできません。なので、歯みがきの後に口をゆすぐと、歯にはさまっていたり飲み込めていなかった食べものが結構出てきますね。洗面所の排水溝がすぐ詰まってしまうので、こまめな掃除が欠かせません。

 

舌を縫合した「糸」との闘い。舌を動かさない食べかたを独自に研究

 

じつはらさんも、最初はうまく食べられなかったんですね。

 

手術直後、私が一番つらかったのは、舌を縫合した糸の切れ端が、「ゴックン」とするたびにのどに刺さったことですね。かたい糸なので潰瘍のような傷になってしまい、退院後3、4カ月はその傷の痛みとの闘いでした。本当は、リハビリの意味でも舌をたくさん動かさないといけないのですが、私はなるべく痛みを感じないよう、舌を動かさない食べかたを研究しましたね(笑)。

それに、ミキサー食(画像)を食べていた頃はくちびるも麻痺しているので、口の中のものがいつの間にか外に漏れてしまうのも悩みでした。

▲オズさんの食べていたミキサー食。その名のとおり、食べものをミキサーにかけてドロドロにした食事です。「マヨネーズも付くよ、とじつはらさんから事前に教えてもらっていたので、はじめてみたときは、これか!と謎の感動が(笑)」(オズさん)。

 

 オズさんの入院前に、猫舌堂さんのイイサジースプーンをおすすめしたんですよね。手術後すぐでも使いやすいですよ、って。

 

そうなんです。頭頸部がん患者会の方からもすすめていただいていたので、「これは買わないと!」と思いました。ただ、ちょっとお値段が、ね(笑)。

 

最初は、夫が100円ショップでマドラーを買ってきてくれたんです。「イイサジースプーンと似てるからこれでもいいんじゃない?」って(笑)。でも、マドラーも歯に当たってしまい、使いづらくて。イイサジースプーンを使ってみたときに、口に入れる部分の薄さと平たさに感動しましたね。

 

おすすめしてよかったです!

 

食べることもですが、コップから水を飲むのも大変でした。手術で首を切開したので、縫合したところがひきつれる感覚があって首が伸びなくて。手術前は錠剤を2、3粒同時に飲めていましたが、手術後は1粒ずつ、なんとか飲みこんでいました。

 

 

わかります。

錠剤といえば、舌の下の空洞になっている部分に錠剤が落ちてしまうと気づかない、というのも「あるある」ですね。僕自身、錠剤を飲んだつもりが、溶けきるまで舌の下に落ちたままだったという経験が何度もあります。

 

5. 手術後1年目、気になるのは周りの人との「食べるペース・量」の差

 

錠剤あるある、わかります(笑)。

 

術後1年近く経って、最近意識するようになったのが、食べるスピードが周りより遅いな、ということです。

コロナ禍で外食しない時期が長かったので、遅いという自覚がなく、手術前のスピードに戻ってきているようにさえ感じていました。

ところが先日、コロナが少し落ち着いたタイミングで友人たちとお蕎麦屋さんに行ったのですが、気がつけば周りより食べるのがかなり遅くて。しかも、飲み込みやすいようにたくさん噛むからか、量も全然食べられないんです。満腹中枢が刺激されてすぐお腹いっぱいになってしまうんですよね。

 

その悩み、まさに術後1年目の僕と同じです!

職場に復帰した後、先輩とお昼ご飯に行くときは、一番早く出てきて早く食べられるメニューを選んでいました。手術前は平らげていた大盛りも食べられなくなり、周りとペースを合わせるのには苦労しましたね。

病気のことは職場にも話していたのですが、ご飯のたびにいちいち気にされたくない、というか。僕が一番年下だったので、とにかく最初に食べ終わっておきたいという気持ちがありましたね。食後の口のメンテナンスもできていないまま取引先を訪問し、商談中に生姜焼きのかけらが出てきたりしたこともありましたよ(笑)。

ただ、食べるスピードや量は、時間が解決する部分も大きいかなと思いますね。

実は今でも、スープをこぼしてしまったりすることがたまにあるんですが、「オレ、がんだからさ」と言い訳しています。とはいえ、手術前ならこぼさず食べられていたかどうか、正直わからないんですけどね(笑)。

 

 「時間が解決」、本当にそう思います。私も術後約1年で食べやすくなってきている実感はあるんです。焦らず、時間が経つのを待つことも大切なんですね。

 

 

6.「時薬(ときぐすり)」を信じて焦らず過ごす

オズさんも少し前までそうだったと思いますが、舌を切除して日が浅い方は、きちんと食べられるようになるか、話せるようになるか、とても不安だと思います。

もちろん、がんができた位置、手術の方法、舌を切った大きさによって状況はまったく違うので、「大丈夫ですよ!」と一概には言えませんが、時間が解決することもたくさんあります。僕と同じような手術を受けた方には、あまり焦らず過ごしてください、とお伝えしたいです。

僕自身、最初は食べるのも遅かったですし、話すのも「モゴモゴ」という感じからのスタートでした。ただ、食べ続けること、しゃべり続けること、そして外に出て仕事をしたりすることで、少しずつ順応していったように思います。腕から移植した部分も、最初はかたかったのですが、少しずつ「舌」になろうとしてくれています。経過観察をしっかりしながら、少し気楽に過ごしてみることをおすすめしたいです。

 

7.がんの「先輩」とつながってみたら、世界が広がった

じつはらさんと同じく、焦らなくても大丈夫、とお伝えしたいです。

それに加えて、同じ悩みを持った方と積極的に交流してみることもおすすめしたいです。

私自身、SNSで誰かとつながるのは怖い、というイメージがありました。でも、思い切ってじつはらさんにメールを出したり、じつはらさんからご紹介いただいた猫舌堂さんのオンラインランチ会に参加したり、そういった「人とのつながり」にすごく助けられました。

じつはらさんには、まだミキサー食を食べている段階で「ラーメンは食べられるようになりますか?」とか細かく聞いたりしていました(笑)。じつはらさんはいつも丁寧で優しく、しかも面白おかしく返信してくださって。自分の不安だけにフォーカスせず、「今は難しくても大丈夫なんだ、できるようになるんだ」と前を向くことができました。

こんなつながりも、いいものですよ。

 

実は時々、「舌がんになって悩んでいて…」とご相談のメッセージをSNSでいただくことがあるんですよ。僕は、舌がんになった方はもうそれだけで、無条件で「仲間」だと思っているので、必ず返信します。

 

 

明日からもう、SNSのメッセージ通知が止まらなくなりますよ(笑)。

 

 

じつはらさんとオズさんの「出会い」はちょっぴりドラマチックなものでした。

「いい先生にたどり着けたお礼をどうしても伝えたくて」と、会ったことのないじつはらさんに勇気を出してメールを送ったオズさんと、その気持ちを温かく受け止めたじつはらさん。

手術のこと、退院後の日常生活のことなど、オズさんの質問にじつはらさんが答えるかたちで、おふたりの交流は今も続いています。

病気の「治療」は、先生や看護師さんといった「医療者」にしかできないこと。

しかしながら、退院後や病気の症状が改善した後もずっと続く「日常」で困ったときは、同じ道を歩んできた当事者の「先輩」を頼ることも、道を開く方法のひとつかもしれません。

「食べること」の選択肢(=色)を共有し広げたい、という思いで続けているこの「一食十色」シリーズ。今回の対談では、じつはらさん、オズさんそれぞれの「色」、そして、おふたりがつながることで生まれた新しい「色」、イロイロな「色」が真っ白な画用紙の上に広がっていくさまを目の当たりにしたようでした。

必ずしも平坦ではない道のりも前向きに過ごそうとされるオズさんの笑顔と、そんなオズさんをにこやかに見守るようなじつはらさんの笑顔、どちらもとても印象的な対談となりました。

 

※記事の内容はその方個人の感想・体験です。すべての人に当てはまるものではありません。